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『いだてん』は、日本男子マラソン界の「無念の起源」を描いた傑作だ

視聴率一桁はあまりに勿体ない!

ドラマを見ていると思い出す「あの選手」

大河ドラマ『いだてん』の主人公、金栗四三は20話での1920年のアントワープオリンピックのマラソンでメダルを取れなかった。残念である。

1912年ストックホルムでは途中で昏倒、1916年はベルリン開催されず、1920年アントワープでは35kmこえたあたりまでは健闘、5位以内にいたがその後、失速してメダルは取れなかった。

オリンピックは4年ごとなので、世紀が変わっても同じ下2桁の年、つまり’12年、’16年、’20年に開かれるのかとおもうと、ちょっとおもしろい。

‘16年のベルリン大会が開かれていればと残念である。

金栗四三は21歳と29歳のときにオリンピックに出場したが成績をあげられず、25歳の絶頂のときのオリンピックが中止になったのである。

つい瀬古利彦をおもいだした。

瀬古利彦は早稲田大学の学生だった1979年の福岡国際マラソンで、早稲田大学のゼッケンをつけて圧倒的な強さで優勝、日本マラソン界の期待の星となった。友人の下宿にあった小さい白黒テレビでその瀬古の圧勝を見つめて、興奮した。

1979年に瀬古選手は早稲田大学教育学部の4年、私は文学部の1年だった。同校の先輩の優勝はやたらと高揚してしまう。

 

瀬古は1980年3月に早稲田大学を卒業する。教育学部体育専修の4年には瀬古利彦と、阪神タイガースにドラフト1位指名されたばかりの岡田彰布がおり、「体育専修の学生なら必ず受けにくるはずの試験」を調べだした同級生が、岡田と瀬古ににサインをもらってくると教育学部に出向いていったのをよく覚えている。

結果、瀬古選手には会えてサインを貰って写真もとってもらってけど、岡田選手は来なかった。タイガースのキャンプに行ってるらしい、卒業できるんだろうか、という話をしていた。まあ、たぶん卒業してるんだとはおもいますけど。

1978年からしばらく、マラソン界の瀬古は圧倒的な強さを見せていた。暴力的なほどに強かった。他の選手と同時に競技場に戻ってきても、最後にすごいスパートを見せて完全にぶっちぎって優勝する、というのを繰り返していた。誰がみても世界1位、日本陸上界の悲願、オリンピックマラソンでの金メダルは確実だとみられていた。

競技場に戻ってきたときの雰囲気があまりにも余裕で、これから追走者をしっかり圧倒してやるという不敵な感じを漂わせ、あっというまにそこからトップスピードに乗って、まさにぶっちぎるという感じで勝っていた。遅れだす追走者の無念さまでもが見事な景色になっていた。