私が目撃した「天安門事件」あの日、中国の若者に訊ねられたこと

「中国は、日本みたいになれるかな…」

8964の「余波」の中で

30年前の6月、筆者は中国四川省の省都、成都にいた。ライフワークである中国と日本の野生生物の比較を始めてから3年目、中国の大学に留学して1年弱のことである。

世界中が震撼した北京中心部でのあの出来事だけでなく、広い中国のあちこちで、規模は小さくとも、「8964」は同時多発的に起こっていた。

しかしその実態は、現在もあまり振り返られることがない。中国メディアも世界のメディアも、当時から北京や上海以外の「地方の出来事」自体を報道していなかった。

 

記憶する限り、地方都市とはいえ、成都の中国人学生たちの盛り上がりは大変なものだった。また大学内にいた少なからぬ日本人留学生たちも、事の成り行きに強く関心を寄せていたように思う。

筆者は中国の政治や歴史に対しては、昔も今も、何の知識も興味もない。あの時も、事件そのものにはほとんど無関心だった。おそらくそのような「中国ウォッチャー」は珍しいだろう。

ただあの時、地方の片隅で、中国全土を覆った8964の幾つかの「余波」を目撃したのは確かだ。学者でもジャーナリストでもない筆者には解説も分析もできないが、あのとき「ただ居合わせた」だけの人間の視点を、この機会に書き留めておくことも全くの無意味ではないと思う。

1988年、「留学生」として中国に渡って

筆者が中国重慶市(現在は国家直轄都市。当時は四川省の一部)の大学に留学したのは、1988年の9月。40歳の頃のことだ。もともと生物や自然の研究・撮影を生業としていた筆者は、中国大陸の昆虫に強い関心を抱き、実地での調査を思い立った。

しかし当時の中国では、限られた観光地以外での自由行動は非常に困難だった。そこで考えたのが大学への留学だった。観光客が入れない地域でも、学生の身分であれば自由に行動できるらしいのだ(実際、学生証は非常に役立った)。

学歴でいえば中卒の筆者は、中国への留学は建前上、不可能だ。しかし、知人を介して中国大使館と交渉すると、意外にもあっさりとOKが出た。当時の中国の留学事情は鷹揚なようだった。

調査の対象としていた蝶のクロオオムラサキ(日本の国蝶オオムラサキの唯一の同属種)の棲む成都か、オナガギフチョウ(日本固有種ギフチョウの姉妹種)の棲む西安の大学を希望したが、割り当てられたのは重慶の大学だった。蝶の活動期まではまだ時間があることだし、まあ重慶でもいいかと、大学に着いてからも授業には出ず、ひたすらツクツクボウシの鳴き声を録音したりしていた。

留学生はロシア人が最も多く、次いでドイツ人、フランス人、アメリカ人だった。日本人は筆者を含めて5人。うち3人は、東京の超エリート大学に在籍する若い学生だった。

40歳、中卒、雑誌や新聞に写真を提供したり図鑑を作ったりして生計を立てていた自由業の筆者は、場違いな存在だ。案の定、到着翌日から他の留学生からは完全無視され、授業や行事などのスケジュールも一切伝わらない。

もう一人、あまり偏差値の高くない大学から来たO君も同じように無視されていて、彼の存在は少しばかり心の支えになった。後で中国人の学生が教えてくれたのだけれど、大学にいたある日本人教師は、筆者のことを「あんな中年で無職で無学な人間は、犯罪者に違いない。近寄らないように」と触れ回っていたらしい。