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池袋高齢者暴走事故に思う..「75歳で免許返納」議論が必要では

痛ましい惨劇を防ぐためには…

池袋事故の2つの問題点

池袋での高齢者の暴走による悲惨な事故が色々な議論を呼んでいる。この事件での重要な問題点は、大きく次の2つに分けられると思う。

1つは、この事故を引き起こした高齢者がいわゆる元高級官僚であり、立て続けに起こった他の同様の死亡事故の運転者が、ほぼ例外なく即時逮捕されているのに、それが行われず続報もほとんどないことである。

これでは、新聞・雑誌などのオールドメディア、さらには警察・検察までもが「権力への忖度」を行っていると思われても仕方が無いだろう。

もう1つは、87歳とされるこの高齢運転者が、車庫入れさえ満足にできず、日常の運転で頻繁にガードレールをこすっていたと報じられるにも関わらず、本人が運転を続けただけでは無く、家族を含む周辺のだれも、この高齢者の「危険行為」を止められなかったことである。

どちらも、極めて重要な問題ではあるが、本記事では後者の「高齢者危険運転」と日本における激しい年齢差別(年功序列)との関係を中心に話を進めたい。

 

日本の「年齢差別」

筆者がいつも気になるのは、日本の新聞や雑誌などの報道では、必ずといっていいほど「年齢」が報じられことである。安倍晋三(64)とか、安室奈美恵(41)とかである。

海外のメディアでも年齢の報道がまったく無いわけでは無いが、このようなわざわざカッコ書きで、名前の後に書くことが定例化しているのは日本だけだと思う。

実際、欧米だけでは無くアジアなども含む海外の人々と接していると、日本人ほど年齢にこだわりが無いことがすぐにわかる。

例えば、88歳の投資の神様ウォーレン・バフェットと63歳のビル・ゲイツとは親子ほども歳が違うが、初めて会った時から馬が合い、家族ぐるみの交際をする「親友」である。

ビル・ゲイツがメリンダ・ゲイツに贈った婚約指輪も、バフェットが経営するバークシャー傘下のボーシャイムという宝石店で、バフェット立会いのもと購入している。

もちろん、日本人が年齢にこだわるのは「日本が極めて平等な社会」であることの裏返しである。

欧州は今でも厳然たる階級社会で、貴族と平民の間には明確な区別がある。例えば、ロンドンのシティーでは、いわゆる中卒でペンキ塗りをしていた15歳の少年が場たちからスタートして、数十億円を稼ぐトレーダーになったなどというサクセス・ストーリーがあふれている。

しかし、彼らが金融機関の役員になることはまずない。金融機関の役員というのは貴族および準貴族の指定席なのだ。フランスでも貴族と平民の差はマリー・アントワネットの時代からそれほど変わっていない。

米国には「貴族」というものが基本的に存在しないが(ケネディ家はそうなりつつあるが……)、大会社では役員食堂と一般従業員の食堂は明確にわかれており、会社の役員が作業服を着て工場を見回るなどという日本企業の日常風景のようなことは、まず考えられない。

さらに、米国では極めて激しい人種差別が存在する。

つまり、欧米を含む海外では年齢以外の差別要因が盛りだくさんなのに対して、日本は特に年齢による差別が際立つ。

この年齢差別は、女性に対しては異常に若さを求め(ロリコンなどがその典型例)、男性同士の場合は、年齢が高いほうが偉いという悪しきヒエラルキーを構成している。