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歴史小説家がのめりこんだ池波・司馬・藤沢(一平二太郎)作品の魅力

今村翔吾「わが人生最高の10冊」

「ほんまに読むんか」

私は10代の頃、茶髪でヒゲも生えていてやんちゃな感じでしたが、いつも電車の中で歴史小説を夢中で読んでいました。相当奇異な目で見られていたでしょうね(笑)。

熱心に読書するようになったきっかけは小学校5年生の時、古本屋でたまたま見つけた池波正太郎先生の『』です。私は京都で生まれ育ちましたが、関西では真田幸村は太閤さん(豊臣秀吉)を助けたヒーローとして、親しまれています。

子どもの私も聞きかじって知っていて「どんな人なん?」と興味を持ちました。

「ほんまに読むんか」と母に言われながらも全巻買ってもらい、読み始めたら一発でハマりました。以後、まずは池波先生の本を全部、片っ端から読破していきました。

『真田太平記』は、きちんと歴史を踏まえながらも、それこそ小学生の私が、12巻もの長い物語を最後までワクワク、ドキドキして読み続けられたぐらい、最高のエンターテインメントになっています。

学術的には、幸村ではなく、本当の名前は信繁と判明していますが、池波先生はそれもわかっていながら幸村にこだわって使っていることが伝わってきます。

 

「真田幸村」は史実だけではなく、講談などでも生き生きと描かれ、多くの日本人が憧れてきました。そんな幸村像を作品で引き継ぐという意志が感じられます。また、兄の信之が非常に魅力的。彼は93歳でこの世を去りますが、弟の幸村が50歳目前で先立ちます。

兄として、君主としての辛さや苦労は想像できないほど。でも、清廉な信之でも、奥さんがいるのに恋をするなど、人間臭い部分がまた良いんです。

池波先生にまつわる本を読んでいくと、「一平二太郎」という言葉を自然に知りました。出会ったのが、もう一人の太郎、司馬遼太郎先生。2位に挙げた『』は、最初は15歳の時に読み、今では表紙が摩耗してボロボロになるほど、何度も読んでいる作品です。

自分の年齢により、感じ方が変わってくるのがまた面白い。10代はチャンバラが熱い活劇小説として楽しみ、20代は主人公の土方歳三の生き様に、人生を考えました。作家になった今では、歴史小説のお手本の一冊になっています。

『』は、上巻は土方という一人の男にクローズアップし、下巻ではマクロな視点から、新選組、明治政府や幕府、引いては時代という視野に立ち、書かれています。

前半で土方がどんな男かしっかり描かれているから、読者は後半の物語の中でもピンポイントで土方を見つけることができます。上・下でここまで見事にきれいに分かれているのには感服します。

巧みな独白形式

司馬先生が大河ドラマを観るような作風とすると、池波先生は常に主人公に寄り添い、一緒に歩んでいる感覚があります。

そして、今回は『』を挙げていますが、「一平」の藤沢周平先生の作品はとにかく、描写が素晴らしい。気温や匂い、肌触り。余韻が残る文章を、今も勉強させてもらっています。

私が中学の頃に藤沢先生が亡くなられ、「一平二太郎」の先生方はみんな他界されました。「もうこの先、出えへんの!?」というショックが大きくて、今の言葉で言えば「一平二太郎ロス」になり、小説から離れていました。

そんな時に出会ったのが、北方謙三先生の『』。面白かったですね。北方先生の文章は、短文と長文のメリハリが良く、切れ味が鋭利でストレート。「雨である。」や「風が吹いていた。」みたいな文章にやられました。もう一つ、北方先生は人物の切り取り方が絶妙なんです。

この『破軍の星』は、南北朝時代の北畠顕家が主人公。連戦連勝して物語が盛り上がった後、最後、あえて死を細かく描かない。ずっと応援してきた主人公が読者の手元から解き放たれていくようで、とても印象的です。

浅田次郎先生も同時期に読み始めました。『』は、吉村貫一郎という、貧乏くさい武士が主人公で、関係者が語る吉村の話を読むうち、どんどん魅力的になっていく。聞き手を意識させない独白形式が非常に巧みです。

北方先生と浅田先生で歴史小説、時代小説とあらためて出会い直しました。ここからまた、一気に、読書にのめり込んでいきます。

歴史小説や時代小説は過去の時代の話だからこそ、人間の生き方が顕著に、むき出しに書かれている本が多いです。そんな作品一つ一つが、自分が生きたかもしれない、もう一つの人生なんですよね。

小説は最古にして最後の娯楽だと私は思っています。(取材・文/佐藤太志)

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