│ぼくの夢│  

大きくなったら 
ぼくは博士になりたい 
そしてドラえもんに出てくるような 
タイムマシーンをつくる  

ぼくは 
タイムマシーンにのって 
お父さんの死んでしまう 
まえの日に行く 
そして 
「仕事に行ったらあかん」て 
いうんや 

これは、2000年3月に46歳で自らの命を絶った、和歌山県内の自治体職員の息子マー君が語った詩だという。朝日新聞の記者である牧内昇平氏は、過労死について数年にわたって取材をし、新聞に発表していた。それらの記事をもとに取材を続け、そのルポルタージュを『』という一冊にまとめた。その中には、決して「自己責任」とは言えない過労死の現実があった。今回は本書より、マー君の父親の実例を抜粋掲載にてご紹介する。

働きすぎでうつ病に

「ぼくの夢」を書いたマー君の父、塚田浩さん(仮名)は、和歌山県内の自治体職員だった。かかえきれない仕事の山に押しつぶされ、2000年3月に自ら命を絶った。当時46歳。働きすぎが原因でうつ病になり、最悪の結果に至る「過労自死」の典型例と言えるだろう。マー君が心からしたっていた「お父さん」は、どんな人だったのだろうか。 

子煩悩なパパだった

米屋の長男だった浩さんは地元の橋本高校の出身。兵庫県の関西学院大学に進み、4年間、自宅から電車を乗り継いで西宮のキャンパスに通った。1977年に卒業すると地元に残り、橋本市役所に入った。水道の管理や税金、年金の事務などに携わったが律義な性格が買われ、どの部署でも周りからの信頼は厚かったようだ。 

1987年に美智子さん(仮名)と結婚。その翌年に長女が生まれた。2年後、待望の男の子を授かるが、赤ちゃんは出産後数時間で亡くなってしまった。一家が悲しみに暮れた3年後、美智子さんがマー君を授かった。浩さんが飛び上がるほど喜んだのは言うまでもない。 

家事はほとんど美智子さんに任せきりだったが、休みの日にホットプレートで焼きそばを作るのは、決まって浩さんの役だった。家族全員のぶんを一気に作る、豪快な「男の料理」。子どもたちが「パパ焼きそばだ!」と喜んでいた。夏の週末は自宅の庭にゴム製のプールを出して水遊びをした。そんなときに登場するのが「パパフランク」だった。家族みんなで市民プールに行った時、プールサイドで食べたフランクフルトが大人気だったため、浩さんが露店のおっちゃんの役を買って出たのだった。

市民プールを再現すべく、自宅のビニールプール横で浩さんは「露店のおっちゃん」をやった(写真はイメージです) Photo by iStock

性に合わない仕事 

幸せを絵に描いたような家族の暮らしが仕事によって断ち切られてしまうとは、誰が想像できただろうか。 

転機になったのは、96年春に「総務管理課文書係」に配属されたことだった。浩さんは課長補佐クラスにあたる「専門員」という役職で、部下が2人いた。この異動が結果的に浩さんの人生を大きく変えてしまう。 

市職員の給料から市内の公園の運営まで、市政のルールは「条例」や「規則」で決まっている。それぞれに担当の部署はあるが、その担当課とともに条例・規則の文案をつくり、市議会に提案するのが文書係の主な仕事だった。行政文書に誤りやあいまいな点があってはならないが、担当課は現場の実務はできても条文の書き方には詳しくない。ミスのない文案を作るため、文書係が担う役割は大きかった。 

浩さんははじめから文書係の仕事が性に合わないと感じていたようだ。配属の翌年、職員が人事の希望などを書く「職員申告書」でこう訴えている。 

〈私の能力不足から、行政手続条例の制定が遅れており、迷惑をかけて申し訳なく思っている。課題となっている情報公開についても、現行の体制では正直荷が重い〉 

浩さんが文書係を務めていた90年代後半は、国から自治体に権限をゆずる「地方分権」の流れが強まっていた頃だ。それに伴って自治体行政の透明化、情報公開を求める声も上がっていた。1999年に地方分権一括法や情報公開法といった新しい法律ができ、各自治体ではそれに関わる条例づくりが必要になっていた。橋本市も例外ではなく、そのおかげで文書係の仕事は増える一方だったのだ。