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ハリウッドで「契約成立」直後に訪れる違和感の正体

途方もない時間が浪費されるのはなぜか

米コロンビア大学を卒業後、現在、株式会社CTBの代表を務める筆者は今年、アメリカのエンターテインメント産業で仕事を作るべく、ロサンゼルスに拠点を移した。そこで目にしたさまざまな光景を伝える新シリーズ。第5回目は、ハリウッドにつきまとう「神話」ついて――。

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達成感を妨げるもの

カリフォルニアでは決して雨など降らず、だから撮影所が建設されたはずなのに、不意に降り出した雨も5日目となり、ここは本当にハリウッドかと疑う倒錯的な日に、長く交渉していた映画案件が契約締結に至った。

だが連日の雨より倒錯的なのは、契約締結に要した時間の長さだ。我々の経験不足を考慮しても、案件の性質からして許されるよりはるかに長い時間がすでに経過している。

ところが、調印の場となったセンチュリー・シティーの弁護士事務所で晴れやかな顔で握手を交わし、「長い道のりだった」と口々に呟くハリウッドの男女の誰一人として「長い道のりだった」と思ってはいない。交渉相手といえ、ともに過ごした時間に対する意識の明らかな相違が確認されると、軽度の目眩だけでなく、いささかの寂しささえ覚えるのだ。

なるほどこの日を迎えるために、各者が多くの時間を費やしたのだから、「長い道のり」を振り返って、自らの労働を労働そのものとして肯定し、達成感に浸る行為には一定の魅力を感じる。道のりの長さは、具体的に人件費と弁護士報酬の増大を意味し、それらは各者のバランスシートにおそらく開発費の類で資産計上されるだろう。

だが、かかる資産の肥大化が、契約の唯一の帰結点、すなわちいずれ制作されるかもしれない映画の良し悪しに、いささかの影響も持ち得ないという確信が、労働を労働そのもとして肯定する快楽を禁じ、達成感の訪れを妨げるのだ。

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鬱陶しい雨も助けて、無形資産の厚かましい膨張が徒労感を誘発すると、ふと、ハリウッドは悪しき「契約社会」であるという、あの聞き慣れた批判が正当化されるように思える。

だが同時に、ヨーロッパやアジアの映像産業に従事する者たちが、不吉な頻度で口にしつつも、決して正確な意味を明かさない「契約社会」の一語を復唱して、アメリカ人の愚かさに首を振る仕草には、やはり加担してはならないと思う。

なぜなら、契約に基づき事態が進行する窮屈さは、かかる関係に拘束されたハリウッドでこそ可能な事業、例えば、多様な資金調達手段が担保する潤沢な制作資金の供給や、長期的な権利運用が実現する著作権価値の最大化の、正当な代償として体験される。

 

こうした対価の関係から目を背け、律儀に契約書を確認するアメリカ人を訳知り顔で揶揄し、契約関係の代わりにあるいは「信頼関係」といった言葉を持ち出す態度は、あなたは私を信頼するのかしないのかという貧しい二者択一を強要する、暴力的な姿勢を隠蔽している可能性がある。

そして何より、ハリウッドが悪しき「契約社会」であるという批判は、確かな根拠もなくアメリカの映像産業を特殊に扱い、結果、サンタモニカ山脈の斜面に並ぶあの9つの文字同様に「ハリウッド」を抽象化し、そこがなにやら特権的な場所であるような神話を増長させるだろう。