Photo by iStock
# 働き方改革

優秀な女性社員の「深夜残業と離婚」は、ぼくの責任なのかもしれない

東京マネー戦記【2】2016年冬

有数の「激務な業界」として知られる証券会社にも、仕事と出産・育児を両立する優秀な女性社員は少なくない。しかし、働き方改革と残業時間の削減が叫ばれる昨今でも、相変わらず取引先からの「理不尽な要求」は降ってくる。証券ディーラーの「ぼく」は、毎日遅くまで働くある女性社員と、複雑な思いで仕事を進めていたが…。

証券会社の「ディール」の最前線を描く実録小説「東京マネー戦記」。第1回はこちら:「リーマンショックの裏で、危険な綱渡りに挑んだ証券ディーラーの運命」

(監修/町田哲也

「どうにか今日中に…」

「働き方」にメスが入れられることになったのは、2016年のことだった。

これまで証券会社の時間管理に、経営者が問題意識を持つことはほとんどなかった。サービスの質を高めるためにはいくらでも時間を費やすという考えが支配的で、証券会社間の過当競争が残業時間を拡大させていた。

とりわけ時間がかかったのが、顧客向けのプレゼン資料作成だ。顧客との宴席があるようなときは、二次会までつき合ったうえで会社に戻ってデスクに向かう。12時前に帰宅することが、ほとんどない生活を送る同僚も少なくなかった。

 

そんな労働環境に変化がもたらされ、時間管理に統一の基準が持ち込まれることになった。一番変化があったのは若手だ。誰よりも早く出社し、深夜まで先輩社員の指示に従うのが若手社員の役割だったが、業務量に時間的な制限が設けられるようになった。

今後は1日に数時間の残業しか許されなくなるうえに、家に業務を持ち帰ることもできない。

一方で、業務の高度化は止まることがなかった。企業買収が増加するにしたがい、スピーディーな資金調達が求められるようになる。複雑化する顧客の要望を限られた人員で対応する必要があり、ビジネスに濃淡をつけることが求められた。

ぼくがBという通信機器メーカーの資金調達に関わったのは、この頃のことだった。海外企業を買収するに際して、1兆円に迫る資金の多くをマーケットから調達したいという。しかも買収とほぼ同時の調達が希望だ。実行までの時間は限られており、急いで対応する必要があった。

「どうにか今日中に、契約書類のチェックを終わらせることができませんか?」

B社から契約書の概要を確認したいという連絡があったのは、昼前のことだった。翌日から先方の上司が出張に出ることになり、至急対応して欲しいという。通常は数日かけて行う作業なだけに、ぼくは高須千賀子というドキュメンテーションの担当者に頭を下げるしかなかった。

「そんなの無理に決まってるじゃない。今、何時だと思ってるのよ」

「すみません。お客さんの要望なんです。何とかなりませんか?」

「適当に作るならできなくはないけど、そういうわけにはいかないでしょ。間違ったら、あなたが責任を取ってくれるの?」

「そんなこといわないでくださいよ」

「それくらいの覚悟が必要だっていうことよ。時給高いから、覚えておきなさいよ」

高須は何度もため息をついたが、最後にはいつもの笑顔を見せた。無茶な要望に文句をいいながらも最後は聞き入れてくれるのが、この先輩の頼れるところだった。

Photo by iStock

クライアントは「殿様企業」

高須は営業志望での採用だった。ぼくより5歳年上で、地方支店から証券会社のキャリアをスタートしていた。2度の育休を挟んで、この10年間は契約書や資金調達に関する開示書類作成の立場でディールに関与している。

裏方とはいえ営業出身なだけに、ぼくたちのような現場の人間と顧客との距離感をわかっているところが頼みやすかった。

クライアントのB社は、証券会社に対する扱いがドライなことで有名だった。使えないと判断すれば、これまでのつき合いなど関係なく他社に替えられてしまう。昼夜を問わず無茶な要求をしてくる姿勢は、昔ながらの殿様企業のやり方を引きずっていた。

「どうも、ありがとうございました」

夜12時頃、できあがった資料をB社の担当に送付すると、ぼくは同じフロアにある高須のデスクに礼をいいに行った。

「あんまり人遣いが荒いと嫌われるわよ」

「すみません、むずかしい会社で。高須さんにお願いするのが一番安心なんです」

「何いってるのよ。わがままいいやすいだけでしょ。その勢いで若い子を使ってたら、今の子なんてみんな辞めちゃうから」

デスクを片づけながら、高須は笑って振り返った。いつも笑顔が絶えないのが、高須に好感の持てるところだ。

しかしこの日は夜遅いからか、表情に疲れがにじんでいる。髪の毛に混じっている白髪が、いつもより多く思えた。

-->