北上川、2018年

私と東北と内戦と――「蝦夷征討」「前九年・後三年の役」の現場を歩く

古代国家はいかに建設されたか
古代国家はいかに建設され、中世社会はいかに胎動したのか? 磐井の乱、壬申の乱、前九年・後三年の役など、日本古代史上の内戦を辿りながら日本の特質に迫った『』(Lebaobab現代新書)が発売された。同書にも登場する三十八年戦争、前九年・後三年の役の舞台となった東北地方について、著者の倉本一宏国際日本文化センター教授が描く。

東北地方を北進して

西日本出身者の多くがそうであるように、私も東京に出てくるまでは、東京より北には行ったことがなかった。今でも関西には、古代史研究者でもそういう人がたくさんいる。

1978年に大学に入れてもらい、古代史研究の世界に足を踏み入れてからは、古代には「蝦夷」(えみし)と呼ばれて、古代国家の「小帝国」世界の重要な要素となった東北地方の遺跡を見なければならないという思いが募り、1979年11月に、上野発の夜行急行列車(寝台ではなかった)で、はじめて東北を訪れた。

その時に訪れたのは、多賀城・陸奥国国分寺のほか、山寺(立石寺)と松島であった。同郷の松尾芭蕉の足跡もたどりたかったのである。

その後は毎年のように東北を訪れ、行ったことのある北限も、胆沢(いさわ)城・志波(しわ)城・秋田城と北進していった(まるで教科書の「蝦夷征討」地図のようである)。『遠野物語』にも興味があったので、遠野も何度か訪ねている。イタコに会いに恐山に登ったこともあるし、近年では青森県六ヶ所村からも呼ばれている。そういえば、吉田拓郎の名曲「旅の宿」の蔦(つた)温泉も行ったっけ。

多賀城で投げかけられた言葉

しかし、私にとって印象深いのは、1983年7月に国史学科のゼミ旅行で城柵遺跡を見てまわった際と、2013年3月10日から11日(つまり大震災の2年後の同日)にかけて、勤務先の大学院生(主に各国の留学生)を連れて松島・気仙沼・陸前高田を訪ねた際の旅である。

2013年、大島

2013年の方は、その2年前に津波が両方向から押し寄せたうえに火のついた石油タンクが漂着して山火事にもなった大島に宿泊し、11日は「一本松」の前で同時刻に黙祷をするという、きわめて感慨深い旅だったのであるが、ここでは大学院の修士一年であった1983年のゼミ旅行の思い出を語ることにしよう。あれから35年にもなるのに、いまだに忘れられない言葉を投げかけられたからである。

我々はまず、私の発案で、宮城県名取市にある平安時代の陸奥守であった藤原実方(ふじわらのさねかた。「歌枕見てまゐれ」の説話で有名な人)の墓と称する「遺跡」を訪ねた。ほんとうにこの土盛りが実方の墓であるはずはないのだが、西行、芭蕉、正岡子規がここを訪れ、それを知って自分も訪れたという平安時代研究者の目崎徳衛氏(めざきとくえ。俳人でもあった)の文章を読んで、ぜひとも見てみたいと思ったのである。

北上川、1983年

 
ついで同じく名取市にある東北地方で最大規模の雷神山古墳(らいじんやまこふん。墳丘長168メートル)を見て、仙台市の郡山遺跡を見学した。これは7世紀中葉の、多賀城(宮城県多賀城市)に先立つ陸奥国府の遺構と推定されている遺跡で、「改新政府」の権力が東北に浸透した過程を知るうえで、きわめて重要なものである。

しかし、遺跡のすばらしさもさることながら、私が心に深く刻んだのは、遺構面に降りて教育委員会の方の説明を受けていた際に、通りがかりの自転車のおじさんが我々に向かって叫んだ言葉である。それは、

「お前らは遊んでいて金をもらっているようなもんだ」

というものであった。それを聞いた誰もが衝撃を受け、研究者というのは遊んでいて生活しているのだと、あらためて自覚した次第である。

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