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復権を狙う稲田朋美は、過去の大失敗から本当に学んでいるのか

自己矛盾とねじれた論理

衆議院本会議での「異変」

臨時国会が始まった。

冒頭に行なわれる衆議院本会議でちょっとした「異変」があった。

自民党を代表して安倍晋三首相の所信表明演説に対する代表質問を行ったのは党三役ではなく、筆頭副幹事長の稲田朋美元防衛大臣。

一時は安倍晋三首相の秘蔵っ子、「保守政治家のホープ」として当選3回ながら行革担当相、自民党政調会長、防衛相と重用されたが、期待に応えることはできず、自身の靖国参拝を巡っては辻元清美議員から切り込まれて答弁で涙を見せたことに保守派からも批判があがる。

決定打は東京都議選の応援演説で「防衛省、自衛隊としてもお願いしたい」という失言。陸自「日報」問題で引責辞任に至るまでの防衛大臣としての日々は、皮肉にも稲田氏の未熟さを知らしめることとなる。

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それから1年――。代表質問は稲田氏にとっては久々の表舞台だが、なぜ今、稲田氏なのか。

このイレギュラーを毎日新聞はこう伝えている。

「党内からは『党三役でもないのにおかしい。とても世論を見ているとは思えない』(閣僚経験者)と人選を批判する声も出た」にもかかわらずの抜擢は、「首相候補」としての稲田氏の復権を示唆しているのではないか、との見方だ。

当の稲田氏は「憲法改正や外交、防衛のところは自分らしい質問をしたと思う」と自賛した。

「(自民党は)保守政党」を何度も繰り返し、保守政治家としての存在感をアピール。安倍政権への「ヨイショ」ももちろん忘れない。

 

飛鳥時代から民主主義

「さらに歴史を遡れば、聖徳太子の和を以って尊しとなす、という多数な意見の尊重と徹底した議論による決定という民主主義の基本は我が国古来の伝統であり、敗戦後に連合国から教えられたものではありませんっ」

稲田氏は「憲法」問題に言及をした際、聖徳太子の「十七条憲法」を引き合いに出す。

多くの日本人がはじめて「憲法」の言葉に触れるのは、この604年制定とされる聖徳太子の「十七条憲法」であろう。

ところがこの「十七条憲法」は今で言う「憲法」とは全く「別物」である。

三条では「詔を承りては必ず謹め」。「天皇の命令には反発せずに受け入れなさい」と、官僚や貴族に向けて道徳的規範を示している。

つまり基本的には「役人の心得」を説いたものなので、「日本国憲法」のように国家権力の制限や国民の権利について語ったものではないのだ。

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