「遠藤姓」を名乗る二人の在日コリアンの、数奇な出会い

きっかけは、一本の記事だった

「やっとお目にかかれました」

世の中にはいろんなめぐり逢いがあるものだが、先日、京都市内でちょっと不思議な出会いに遭遇した。一人は京都で長年電気工事業を営んできた遠藤道雄さん(70)。もう一人は米国カリフォルニア州のロサンゼルスからやってきた遠藤正聡さん(46)。

親子ほど歳の離れた二人は共に「遠藤」姓を名乗るが、それぞれ「本名」が存在する。

朴龍基と金正聡。二人とも在日コリアンなのだ。

「やっとお目にかかることができました」(遠藤正聡さん)
「米国から、ようおいでくださいました。嬉しいです」(遠藤道雄さん)

二人はほとんど似ていない。おそらく血のつながりはないのだろう。しかし、まるで生き別れた親子が数十年ぶりに再会した瞬間のような感動が、同席している私の身体にも伝わってきた。二人が出会うまでには、なんとも数奇な物語があった。

 

ひとつの記事がきっかけで

発端になったのは2年前に筆者が執筆した『ある在日3世の独白「私はなぜ、遠藤姓を名乗るのか」』https://lebaobab.info/articles/-/49620 という記事だった。

要約すると、こんな話である。

幼い頃から自分の通名が「遠藤」であることに疑問を抱いていた道雄さんが、ある法事の席で叔父に疑問をぶつけた時だった。叔父は「いつかお前たちにも話さなければならないと思っていた」と切り出し、「遠藤」という通名の由来を語りはじめた。

ときは1923年にさかのぼる。東京を未曽有の大地震が襲った。関東大震災だ。

直後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「朝鮮人が暴動を起こしている」といった流言飛語が飛び交い、あちこちで朝鮮人が捕まえられては暴行を受け、残虐される事件が発生。戦慄を覚えた朝鮮人たちは逃げ惑ったが、その中に道雄さんの祖父・朴栄業がいた。どこまで逃げたのか、その場がどこなのか自分でもわからないほど憔悴しきっていた栄業に声をかけてきた日本人がいた。

「お前ら、朝鮮人か」

栄業は「もうダメだ、殺される」と覚悟を決める。しかし、殺されることはなかった。この日本人は食べ物を与えてくれ、混乱がおさまるまで家の中にかくまってくれたのだ。その人が「遠藤さん」だった。

殺気だっていた町の空気は次第に緩みはじめた。栄業が辞去しようとした折り、遠藤さんは言った。「こんな状況だ。その名前では危ない。もし誰かに名前を聞かれたら遠藤と答えればいい」。栄業は災禍を「遠藤」として生き延びた。

しばらくして、かくまってくれた遠藤さんに礼を言おうと家々を探したが、とうとう同じ場所には行き着けなかった。

朴栄業は戦後も「遠藤」という通名で生きることを決める。あの混乱の中で自分を救ってくれた日本人の名は、子や孫たちにも引き継がれた。

在日コリアンが使用する通名で比較的多いのは「金田」や「金本」、「高山」「新井」だろうか。1939年に大日本帝国朝鮮総督府が敷いた創氏改名で本籍地を朝鮮とする日本臣民は日本的な名前への変更を余儀なくされたが、多くは朝鮮名の痕跡を残そうとした。金さんなら「金田」や「金本」、朴さんなら「林」といった具合にだ。

こうした経緯や在日社会を多少知る人ならば「遠藤」姓が数多ある通名の中でいかに珍しいかに気づくはずだ。

遠藤道雄さん自身、叔父にその話を聞くまではなぜ自分の通名が「遠藤」なのか、さっぱりわからなかった。「なんでうちの通名は遠藤なんやろうって、幼い頃からずっと疑問に感じとった」という。

遠藤姓の真相がわかって数年たった頃だろうか、在日コリアンの先輩が「福岡にも遠藤姓のコリアンがいるらしい」と教えてくれたことがあった。自分や親族に関係のある人物かもしれない。逢ってみたいと思った。電気工事業で全国に飛び回っていた道雄さんは福岡にいる友人、知人のツテを使って探しまわった。

「ホンマにいるんやとしたら、他人とは思えんかった。もしかすると親戚かもわからんし、祖父を助けてくれた日本人の遠藤さんと何かしら関係があるかもしらん思うてな。どうしても会ってみたかったんや」

しかし「福岡の遠藤さん」を見つけ出すことは叶わなかった。それから数十年が経過する。

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