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「アートで町おこし」には“無用なもの”を排除する欲望が潜んでいる

現代日本のアナキストかく語りき 後編

前編では、つねに有用性や生産性を求められる社会への気持ち悪さを語った、政治学者でアナキストの栗原康氏。後編では、その論理があらゆる場所に貫徹している現状、そしてそこから抜け出すための方法を考える。

アートで町おこしへの違和感

前編でもお話した通り、私たちの社会は、「有用性がないもの」をどんどん排除する社会になっています。

それは「地方創生」、町おこしの現場でも起こっています。アートの力で町を再生しようという試みがブームになっていますが、そのアートは、猥雑なものを排除したり、覆い隠したりしている。

写真:岡田康且

例えば、東京の山谷や大阪の釜ヶ崎といった寄せ場にいる、野宿者や日雇いの「おっさん」たちは本当に猥雑です。まえに山谷夏祭りというのに行ったことがあるのですが、みんなほんとうにクソみたいな酒を呑むんですよ。バケツにやっすい焼酎をドバドバ入れて、烏龍茶をテキトーに注いで、あ、これ2杯飲んだら死ぬな、と思うような。

そういう酒を飲んでいるおっさんたちが、すごい力をもっているんですよね。ブルーテントで生活ができている時点でもすごいことです。これは夏祭りのときじゃないんですが、道具なんてなくても、炊き出し用の薪を素手で割って、作ってるひともいたりしました。本当のDIYをやっている。私たちが一般社会で持ち込んでいる有用性とは違う有用性を持っていたり、あるいは本当に役に立たなかったりする。でも、それでいい世界です。

 

そういうところにアートを持ち込むとどうなるのか。アートで経済を活性化したいというのは、完全な善意だと思うんです。ところが、その結果訪れるのはインスタ好きなおしゃれな若者たち。そのためにアートで町をカラフルにしても、灰色のおっさんたちは、気持ち悪いとレッテルを貼られてしまって、排除されるしかない。

町に必要なのは、立ち小便しているような猥雑なおっさんたちを受け入れ、たとえ交流できなくてもいいじゃん、おもしろいじゃんって言える「余裕」だと思うんです。そんな社会の余裕が排除されていくと、どんどん息苦しくなっていく。

下町で飲む横丁女子とか、写ルンですで昭和レトロを撮るとか、実際にやると楽しいのかもしれません。しかし、それが猥雑さを壊してしまうこともある。

どこで手に入れたか分からない品を路上で売っている人がいたり、何の出汁かわからないラーメンの屋台があったりと、50年くらいまえなら当たり前にあったゴチャゴチャしたものが、どんどんキレイにされていっている。有用じゃないと考えるものを排除しているけれど、本当にそれが有用じゃないといえるのかなんて、わかりません。

弱者だと思われていた人たちが、弱者ゆえの戦い方で勝利して、新しいものが生まれてきた歴史があるのに、いま、目の前の有用性だけで何かを判断している。本当に大事なものが漏れ落ちてしまっている――それは愚かなことではないでしょうか。

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