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「紙と小説に未来はあるのか」塩田武士と武田砂鉄が語りつくした

『歪んだ波紋』特別対談

「グルーヴ(一体感)」への違和感

──今回、おふたりとも「メディア」を扱った著作を出されました。いまのレガシーメディアと言われるものと、新しいネットメディアの状況。さらには、われわれにとって理想のメディアとは何なのか、にフォーカスしていければと思います。

武田: オビ裏の文言にもありますが、この『』は、随所で松本清張作品が意識されていますね。清張は、高度経済成長、格差社会、あるいは新興宗教を題材にするなど、社会的事象を小説の中に投入しながら、膨張していく日本の現在、そして日本人の心の変遷を書いていた。今回の作品は、そういった松本清張作品的な昭和の匂いを通底させながら、そこに更に現代的な情報戦の問題等々を注ぎ込んでいます。なるほど、この手があったか、と唸らされました。

SF小説として、データ社会やアルゴリズムを題材にされる方はいますが、レガシーメディアと言われるメディアの凝り固まった問題点をほぐしながら、現代の話題をぶつけてきたのがとても新鮮でした。『罪の声』と同様、まずはこの手法に驚きました。

塩田: ありがとうございます。僕はコラムとか論評を読むとき、とにかく「アッ」て膝を打ちたいんです。『』は膝を打ちっぱなしで、言語化することへの執念に圧倒されました。たとえば、91という数字をパッと見せられて、素数です、と言われたら、僕はそのまま頷いてしまう。でも、武田さんは91は素数です、と言われたら、パッと13と7が見える人なんじゃないかと。物事を分解して組み立てなおして、わかりやすく伝えるという強い意志を感じます。

印象に残る言葉がたくさんありました。少子化問題で、「システムよりもメンタルを整えようとする悪癖」とか、一番直してほしいところを一言でズバッと言い表せる。現安倍政権が、「日本すごい」でもっていって、いい夢を見ている間に、経済でも文化でも日本が取り残される現状が進んでいきそうで、その気配を見事に言語化されている。

武田: 互いに気持ちよくなったところで終わりましょうか。本日はありがとうございました(笑)。

──ともに「書く言葉」を非常に意識して選び駆使している気がします。

武田: よく、日本語にこだわってますよね、とか、言葉にすごく厳しいですよね、と言われますが、それでご飯を食べているのだから当たり前です(笑)。蕎麦打ち職人に「蕎麦にこだわってますね」と言ったら叱られます。でもそれは、今流れてくる政治の言葉、メディアの言葉、ワイドショーの言葉などの緊張感のなさを実感しているからこそなのかもしれません。

自分の文章はシンプルにわかりやすく、ではなく、複雑な構築物のような作りをしているので負荷がかかります。おそらく塩田さんの小説も同じではないかと思いますが。

塩田: 甘えのデッドラインみたいなことを常に考えます。最近ナンシー関の評伝を読んだんですが、やっぱり、言語化に対して厳しいんですよね。いつも追究して正解を求めている。武田さんは的確な言葉をなんでこんなに数打てるんですか。

武田: 数年前まで編集者をしていたので、原稿を一通り書いた後で、編集者の目線に切り替えて、「おい、このクソつまんない原稿書いたの誰だ?」「俺だ!」というぶつかり合いをしています(笑)。書いた人間の姿勢と、編集者の目線を混ぜながら、あらためて原稿を読み直しています。

塩田: ホッとしました(笑)。いきなりドバドバ出てきているなら、途方に暮れます。最近僕は読んでいて「圧」のかかる本を見つけるのが大変なんです。同じテーマを書けと言われたとき、自分では届かないなっていうヒリヒリした感じを味わいたいのですが。

 

武田: 自分もナンシー関さんが大好きで、ベスト選集の編者を務めさせてもらいました。先日、ナンシー関さんについて、いとうせいこうさんと対談をしたのですが、編集者だったいとうさんがナンシーさんに初めて原稿を頼んだところ、改行がまったくなかったという。

スペースを与えられたら、そこにどのように敷き詰めるかを当初から考え抜かれていたんですね。お弁当箱に隅々まで具を入れる意識というか。自分も、雑誌のコラムでは、この箱の中にどのように敷き詰めるかを考える。はみ出たら削る、足りなかったらつぎ足す、を繰り返す。濃くしてぶつけるのが好きなんです。

自分は紙でもWebでも書いているので、どっちがいいかと聞かれることが多いのですが、そもそも構築物としての成り立ち方が違うと思う。その点、新聞はどうでしたか。

塩田: 新聞社で枠の中に収める修業を10年間やりました。取材して書きたいことの1割2割しか書けないことがずっと続くので、どうすれば圧縮できて、本質からずれないかを考え続けました。それでも、いま振り返ると、記者時代は言葉に対してすごく甘かった。記者クラブは、情報がただで安全に手に入るから、情報を取る段階での甘えがありました。

武田: 同じ箱に収めていくアプローチでも、新聞は型があるから、コラムと真逆ですよね。交通事故の記事の内容が読売と朝日でまったく違っていることはない。「この晴れ渡る空の下、私だけが憂鬱な気分だった」と事件記事を書き始めてはいけない。でもコラムって、1行目から、そいつである必然性を見せなければいけない。

塩田: いまだに5W1Hが続いている。そこを問い直すことはなかったんです、現役時代に。客観報道なんてのも考えてなかったし、とにかく無心に箱の中に収めてました。ノルマがあって、次から次へと情報が入ってくるのをさばいてとにかく紙面を埋める。ノルマのニュースに対して思い入れはなくて、一日が終わったらホッとする。

小説は真逆です。まず箱の外をどう描くか。箱を埋めてた人間が、箱の外のことを考えることを繰り返していったら、すごくもったいないことをしていたという後悔があった。そこから言葉、言語化をまだ詰められたとか、もっといい表現があるというところにいったので、少し遅いとは思うんですけど、真逆の環境に身を置いたことで、背筋が伸びました。

武田: 新聞記者は、今やすっかり就活戦争を勝ち抜いた優秀な学生がなる職業です。彼らが大学生の時点では、文章を書かせたら相当面白いものを書く人が多かったはずですが、いざ新聞社に入り、何年か地方に行き、本社に戻ってきて……と、制約のある新聞文体を重ねているうちに、文章のセンスがごっそり削られちゃってると思うんです。

塩田: とにかく型にはめないといけないし、夕刊の締め切りが13時で、発生が12時55分だとすると、絶対に2分で取材して入れないと駄目。そういう人が、重宝される。

入って教えられるのは、まず根性なんですよね。寝ないでもやる。抜かれない。

武田: 新聞社にデスクっていますよね。あえてガサツに問いますが、あんなにいりますかね。以前、新聞で対談連載をやっていた時、あるミュージシャンが「自分はグルーヴを大事にする」と言った。その「グルーヴ」って、対話している自分には感覚的にしかわかっていないし、もしかしたら本人にとっても漠然としたままなのかもしれない。ならば、その言葉は、そのまま流しておけばいいと思うんですよね。読む人がその言葉に反応して意味を探ればいいわけだから。

でも担当のデスクは、「グルーヴ」の下に括弧を入れ、「グルーヴ(一体感)」としてきた。ハズレではないけれど、正解ではない。音楽の現場でのグルーヴって、他のプレイヤーと「目と目が合ってバチーンときた」みたいな感じで、辞書で説明できる状態ではない。結局そのまま「一体感」込みで掲載されたんですが、でも自分はやっぱり嫌なんです。それがあることによって言葉が収縮してしまうというか、自由度が失われてしまう。こういった場合の「グルーヴ」って、それぞれが受け取ればいい。

その解釈の差によって議論が始まる、深まるってことがたくさんあると思う。そういう可能性を、オールドメディアは潰しているのかもしれません。言葉を縛りつけるように、真面目にやりすぎている気がする。

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