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TBS体制最後のドラフトで獲得した“即戦力ではない高校生”たち

序章"嫌がらせのドラフト"と呼ばれて④

2013年に発売されベイスターズファンのみならずすべてのプロ野球ファンの胸を打った野球ノンフィクションの金字塔『4522敗の記憶 ホエールズ&ベイスターズ涙の球団史』。同作品のスピンオフ連載として始まった「2011年のナイン」、待望の連載第4回。それは暗黒時代、史上最弱と呼ばれ、身売り、本拠地移転、球団解散などが噂されたあの秋。どん底の中に生み落とされた高校生たちの7年間の物語――。

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横浜DeNAベイスターズの船出

ドラフト会議から丁度1週間が経った11月4日。

株式会社ディー・エヌ・エーが、横浜ベイスターズを総額95億円で買収し、球団名は「横浜DeNAベイスターズ」になることが発表された。

日本野球機構にて加盟申請の手続きを終え、その足で記者会見に臨んだDeNA春田真オーナーは、今後の目標に「1年目に最下位脱出、3年以内にクライマックスシリーズ進出、5年以内に優勝」を掲げ、新体制での球団づくりがスタートした。

横浜DeNAベイスターズの骨格は日を追うごとに明らかになっていく。

基本的に球団職員、スタッフなどは横浜ベイスターズから引き継ぐ一方で、取締役は若林貴世志オーナーを筆頭に10名が退任。加地隆雄前球団社長は会長となり、新たな取締役には春田真氏(取締役オーナー)、池田純氏(代表取締役社長)がDeNA側から着任。前体制からは笹川博氏だけが取締役に留任と、大幅なスリム化が行われた。

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現場では1ヵ月前に休養となった尾花髙雄監督が11月22日に解任されることが発表された。3年契約の2年目で解任は、1998年に優勝した権藤博以降、森祇晶、山下大輔、牛島和彦、大矢明彦(3年目の5月で休養)に続く、5人連続で3年目の壁を打ち破れずにグラウンドを去ることとなる。

「来季も育ってきた選手たちと一緒に戦いたかったが仕方ない。選手たちには頑張ってほしい」

2009年オフ。投手コーチとしての実績と名声を得ていた尾花氏が、その年の日本一で三連覇を果たした巨人の投手コーチとして契約を残しながら、その地位を捨てて横浜ベイスターズの監督に就任したことは、野球界に大きな衝撃をもたらせた。

投手陣の再建を至上命令とする横浜では、尾花監督への夢と期待が大きく膨らんでゆく。就任会見では横浜港海上をゆくマリンルージュの船上でアナライジングベースボール(分析野球)を掲げ、華々しい船出を飾ったのも束の間。1年目の2010年は昨年をも下回る防御率4.88と投壊して早々に最下位へ沈没。2年目となったこの11年も最下位という海底を潜航したまま一度も浮上することなく任期を終えることとなった。

 

しかし、順位は最下位ながら、67試合に投げて防御率1.84と復活した篠原貴行、47試合で防御率1.58と頭角を現した藤江均、新人登板記録の71試合に登板した大原慎二、65試合に登板した江尻慎太郎、62試合に登板した真田裕貴など、来る日も来る日も滅私奉公で投げ続けてくれた中継ぎ陣。

そして、負けても負けても投げ続け、5勝15敗という成績ながら、チーム最多勝にして唯一の規定投球回数をクリアした高崎健太郎、この年に育成から支配下選手登録された国吉佑樹など期待の若手投手の出現などもあり、チーム防御率は3.87へと大幅に持ち直していた。ようやく成果の兆しが見えてきたところで解任されたことは無念の極みであっただろう。

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