1974年、カーペンターズにゴールドディスクを授与する鈴木實さん(眼鏡をかけている)

カーペンターズの仕掛け人だった「無敵のゼロ戦乗り」の壮絶人生

超エースパイロットが生んだ数々の名曲
1970年代初頭、ビートルズ解散直後の洋楽界で大ヒットを連発した兄妹デュオ、カーペンターズ。彼らの日本での契約と宣伝販売の陣頭指揮を執ったのは、戦時中、名指揮官と讃えられた元零戦隊長だった。豪州戦線では英国の名機スピットファイアを相手に連戦連勝を続けた飛行隊長も、戦争に負ければただの失業者。焦土と化し混乱を極めた戦後ニッポンの中で、砂を噛み、泥を掴むように生き抜かねばならなかった…。

焼け跡にあふれた300万の「失業軍人」

昭和20(1945)年8月15日正午、天皇がラジオを通じて戦争終結を告げ、3年9ヵ月におよんだ太平洋戦争(当時の呼称は大東亜戦争)が終わると、それまで「本土決戦」に備えて各地に展開していた陸海軍の軍人は、一転して失業者となった。その数は、昭和20年大晦日の朝日新聞によると、陸軍290万人、海軍50万人におよぶ。

 

敗戦で拠って立つものを全て失った彼らを待っていたのは、生きるため、家族を養うための新たなる戦いだった。連合軍機による空襲や、艦船による艦砲射撃で、日本の主要都市は軒並み焦土と化している。彼らは、あるいは地方で農地を開墾し、またあるいは職を求めて焼け跡の町をさまよい、まさにゼロからのスタートで、それぞれ第二の人生を歩んでいったのだ。

私は、そんな旧軍人数百名を20数年にわたって訪ね歩き、一人一人の生い立ちから戦中の体験、そして、戦後歩んできた道について、聞き取り取材を続けてきた。

7月19日に発売される(Lebaobab+α文庫)は、零戦を駆って戦った搭乗員たちの戦中、戦後の人生航跡を綴った本で、これで4冊めとなる『証言 零戦』シリーズの、ひとまずの完結編である。

カーペンターズを日本に紹介した男

いまから35年前の昭和58(1983)年2月4日、かつて一時代を築いた一人の女性歌手が急逝した。カレン・カーペンター、享年32。兄、リチャード・カーペンターとともに兄妹デュオ「カーペンターズ」として、アメリカのレコードレーベルA&Mから数々のヒット曲を連発、70年代を通じて一世を風靡し続けた。

1972年、グラミー賞授賞式でのカーペンターズ(photo by gettyimages)

日本では、昭和45(1970)年、A&Mを傘下に持つイギリスの大手レコード会社・デッカ社と独占販売契約を結んでいたキングレコードから発売された「遥かなる影」が大ヒットしたのを皮切りに、昭和48(1973)年には「イエスタデイ・ワンス・モア」がふたたび大ヒット。この年に発売されたアルバム「ナウ・アンド・ゼン」は、50万枚を売り切った。この時期、カーペンターズの日本でのレコード売り上げは、ライバルEMIが擁するビートルズを上回るほどだった。

――当時、キングレコード洋楽本部長として、カーペンターズを日本に紹介したのが、『証言 零戦 搭乗員がくぐり抜けた地獄の戦場と激動の戦後』に登場する鈴木實(みのる)さんである。鈴木さんは、零戦隊を代表する名指揮官としてもつとに知られている。

昭和16(1941)年、要務で出張した中国・青島で、麻の白い背広を着て外出する鈴木實さん。当時十二空分隊長

私は、平成7(1995)年10月から、平成13(2001)年10月、鈴木さんが91歳で亡くなるまでのちょうど6年間、家族ぐるみのお付き合いをいただきながら、のべ10数回のインタビューを重ねた。奥さんの隆子さんとは、いまも交流がある。

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