提供:国立科学博物館

ぼくたちはなぜぼくたちだけなのだろう 第4回:ピテカントロプス

彼らはなぜ滅んでしまったのか?
かつて地球上には、ぼくたちと同じ「人類」の仲間がたくさんいた。彼らはなぜ滅んでしまったのか?

なぜぼくたちだけが生き残ったのか?

人類進化のホットスポット、アジアの化石発掘現場から始まる壮大な謎解きの旅!

センチメンタル・ジャーニー

ジャワ原人は、ぼくが中学生か高校生の時の教科書や資料集に、ピテカントロプスという古い学名とともに出ていた。同時に直立原人という呼び名もあった。

強烈なイメージの喚起力があって、その言葉が頭に深々と突き刺さったのを覚えている。

ピテカントロプスという、よくわからない謎めいた音の並び。その一方で、直+立+原+人と、すべて小学校で習う単純な漢字を連ねただけで現れる異次元感。「おおっ、いったいどんなもんだ」という興味がかき立てられた。

サンギランの博物館に展示されているジャワ原人の想像図。第3回で掲載したもの(筆者写す)

今も、身の回りで「ピテカントロプス(あるいはジャワ原人とか直立原人)って知ってる?」と聞くと、ほとんどの人が「知ってる!」と言うのには驚かされる。中学高校で学んだことの中で、わけのわからないインパクトを持っていたものは結構あるけれど、そのうちの一つだと思う。

たとえば……変な語感つながりで「ミトコンドリア」とか、リズムがよくてするりと覚えてしまう「コンデンエイネンシザイホウ(墾田永年私財法)」とか、何度もやっているうちに手がつりそうになったりする「フレミングの○手の法則」とか、舌がもつれそうで逆に印象に残る「日米通商修好条約」とか、男なのか女なのか誰もが一度は迷う「小野妹子」とか。

そういった類のものの中にピテカントロプス=ジャワ原人=直立原人も、かなりの確率で入っているのだと思う。

ただし、このような高インパクトネタの中でもこの言葉が特殊なのは、少なくともぼくは、習ったのが社会科の歴史だったのか、それとも理科の地学か生物だったのか、さっぱり思い出せないことだ。

今、調べてみると世界史で教えられていたようなのだが、ぼくの中では理科でも社会でもない、いや、両方でありうる不思議な領域に浮かんでいる。高校のときに進化論の説明の中で、類人猿と現生人類の「間」、つまり、いわゆる「ミッシング・リンク」の話として聞いた記憶もあるから(こっちは、たぶん生物の先生だ)、いろいろな文脈で登場したのがごっちゃになっているのだろう。

それもありうる話だ。なぜなら、我々の起源に関わる問題だから。

我々はどこから来て、どこへ行くのか。そういう普遍的な問題であって、「教科」が分かれる以前の根源的な関心の対象だからだ。いつの時代でも、どこにいても、人はそういうことを、その時その場の知識や利用可能な知的道具に応じて問うてきた。ときに、その問いへの応答が、神話だったり、哲学だったり、歴史学だったりもしただろう。

そして現代において、「人類学」はヒトの起源を問う科学的探求の中心にある。最前線の探求は、しばしば境界を超えるものなので、歴史学なのか生物学なのか地学なのか問うこと自体はやはり、あまり意味がない。すべての道具を駆使して立ち向かうものだからだ。

多感なティーンエイジの頃に学校でふいに「ピテカントロプス」を耳にしたとき、ぼくたちは、古くからある問いの最前線に触れていた。それは教科や「学校の勉強」の枠を越えており、強固な日々の生活のリズムにびしっと杭を打ち込むようなインパクトがあった。その後、十年、二十年たっても、振り返れば、打ち込まれた杭が残っており、「ピテカントロプス=ジャワ原人」と語りかけてくる。

だから、ぼくにとっても、おそらく多くの読者にとっても、ジャワ原人への旅は、中高生時代へのセンチメンタル・ジャーニーである。いわゆる「聖地巡礼」でもある。

ぼくは海部陽介さんに招かれてジャワ島を訪問した際、ジャワ原人発見の地、トリニールを訪ねる機会を得た。

宿泊していたスラーゲンという地方都市は、ジャワ原人の化石が発掘されたソロ川沿いの多くの発掘地へのアクセスがよく、海部さんたちの現在の発掘地サンブンマチャンからは至近だ。そしてトリニールまでも、自動車で1時間と少しくらいの距離だった。そこで、発掘を半日お休みして、トリニールの発掘地跡を見学することにしたのだ。

到着までの間、ぼくは甘酸っぱいワクワク感にとらわれていた。

np.com.ua

best-drones.reviews

biceps-ua.com