平昌五輪の閉会式を観覧した金英哲副委員長〔PHOTO〕gettyimages

「北朝鮮人民軍のエース」金英哲を韓国に派遣した金正恩の本当の狙い

文大統領も、それは分かっている

北朝鮮が「勝負」をかけてきた。2月25日から27日までの、金英哲党副委員長兼統一戦線部長一行の訪韓である。

平昌オリンピックの開会式での金与正党第一副部長&金永南最高人民会議常任委員長の訪韓に続いて、金正恩政権が「本気度」を見せてきたのだ。開会式に現れたのが金正恩政権の「表の顔」なら、閉会式に現れた金英哲副委員長は、「裏の顔」と言える。

金英哲副委員長は、金正恩委員長が全幅の信頼を置く、いわば120万朝鮮人民軍のエースである。

〔PHOTO〕gettyimages

金英哲の経歴

金英哲副委員長は、朝鮮半島が日本の植民地支配から解放された翌年の1946年に、中朝国境に近い両江道で生まれた。名門の万景台革命学院、金日成軍事総合大学を卒業し、朝鮮人民軍15師団の一員として、韓国軍と睨み合うDMZ(南北非武装地帯)で勤務した。

金英哲の名前が韓国側に知れ渡ったのは、1968年に起こったプエブロ号事件(アメリカ軍の情報船を北朝鮮が拿捕した事件)の時である。金英哲は朝鮮人民軍の軍事停戦委員会の連絡将校を担当した。

この事件でアメリカは、北朝鮮に謝罪文を書かされて、アメリカ軍の拉致被害者を解放してもらうという屈辱を味わった。北朝鮮はこの一件を、「アメリカへの勝利」と大宣伝したが、その殊勲者の一人が、若き金英哲だったのである。

 

次に、金英哲が韓国側に足跡を残すのは、ソウル・オリンピック翌年の1989年2月から1990年7月まで、人民武力部(防衛省)副局長(少将)として、南北高位当局者会談の予備会談に参加した時だ。

金英哲は第1回から第8回まで、北朝鮮側代表を務めた。その後、正式に始まった南北高位級会談でも代表を務めた。1990年9月の第1回から、1992年9月の第8回までだ。さらに、1992年3月から8月まで、南北高位級会談軍事分科委員会の北側の委員長を務めた(第1回から第7回まで)。ここまでが、金日成時代である。

1994年7月から金正日時代に入ると、1988年9月に、最高人民会議の代議員となった。そして2000年、再び、韓国に関わってくる。

同年4月、2ヵ月後に控えた金大中大統領と金正日総書記の南北首脳会談の儀典警護実務者会議で、北朝鮮側の首席代表を務めた。続いて、2006年3月から2007年12月まで、朝鮮人民軍中将として、南北将軍級軍事会談の北朝鮮側代表を務めた(第3回から第7回まで)。

2006年、南北将軍級軍事会談のために訪韓した金英哲〔PHOTO〕gettyimages
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