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嵐・櫻井翔のおばあちゃんが「エリート一家のルーツ」を明かした

祖父は地元紙専務で父はトップ官僚…

品の良さが幅広い世代に受け入れられている。平昌五輪のキャスターに起用されるなど、慶應卒という看板を持つ櫻井翔の活躍は、もはやアイドルの域を超えている。そんな彼の原点は群馬県にあった。

 

英語の重要さを説いた祖父

「私はそう思いませんけど、たまに似ていると言われますね、フフ(笑)」

穏やかな表情で本誌にそう語ったのはジャニーズのアイドルグループ『嵐』の櫻井翔(35歳)の父方の祖母である。メンバーのなかで、櫻井は優等生キャラとして国民的人気を博している。

翔の父親で、総務省事務次官を務めた櫻井俊氏(64歳)の実家は、群馬県の前橋駅から車で10分ほどのところにある。静かな住宅街に建つ平屋の一軒家だ。純和風の家屋で、樹木が生い茂る庭は綺麗に手入れされていた。

俊氏の父は群馬の地元紙である上毛新聞の幹部だった。翔の妹と弟も名門大学を卒業し、一流企業に勤務している。一家そろってエリートなのである。群馬で一人暮らしをしている翔の祖母に本誌は、「櫻井翔のルーツ」について話を聞いた。

――翔さんの祖父である、亡くなったご主人の三男さんについて取材したところ、皆さん、「謙虚で素晴らしい人だった」と口を揃えました。

「いえいえ、こんな寒い中、ごくろうさまです。ただ、お父さん(三男氏)の父親が教師をしていた方で厳しい人でしたからね。お父さんは群馬県太田市の出身でしたが、新潟県の高校を経て、名古屋の大学に進みました。

でも、戦争のため1年で中退しました。本当は勉強をしたかったのでしょう。当時の学生証を捨てずにずっと持っていました。戦争で大学を辞めざるを得なかったのは心残りだったようです。

周囲の友人は東大をはじめ帝大出身者ばかり。複雑な思いもあったのかもしれません。所属は高崎の歩兵第15連隊だったと思います。

復員後、高校で教師を1年間務めた後、地元の上毛新聞に入りました。昔から書くのが好きな人でした。その意味では(新聞記者に)向いていたのかもしれません」

――ご主人は教育熱心だったのですか。

「典型的な昔の人ですよ。家では仕事の話を一切しませんでした。そして、家のことも何もしなかった(笑)。もちろん、『勉強しろ』などと子どもたちに強要もしませんでした。

ただ唯一、『将来のために英語を身につけたほうがいい』と言っていました。英語の重要さをわかっていたんだと思います。

もともと高校で英語を教えていたので、俊が中学1年になり、英語の授業が始まると、1年間毎日勉強を教えていました。これは俊の妹に対しても同じでした」

――ご主人は新聞記者時代、ニューギニア島に日本軍将兵の遺骨収集団に随行する特派員として行かれたそうですね。

「群馬在住の方々で遺骨収集のための派遣団が結成され、現地での様子を報道する特派員として参加しました。現地には1ヵ月滞在しましたが、大変だったと聞いています。退社後は短期大学で非常勤講師を務めていました」

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