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市民の撮った膨大な記録が消えてしまう! 『デジタル・アーカイブの最前線』

知識・文化・感性を消滅させないために

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活字、映像、ウェブ……
残すのが困難な時代に!

災害の悲しい記憶も、映画の名場面が生む感動も、人類が未来に残すべき貴重な「知の遺産」である。だが、それらを守るしくみが崩れつつあるいま、出版物は孤児と化し、映像は再生不能となり、ウェブ世界でも膨大な情報がどんどん消えている。

これらを電子的に保存すべく、世界の有志たちが立ち上がり、推進するデジタル・アーカイブ。その考え方、方法から乗り越えるべき問題まで。

2つの大震災で変わったこと

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が起きたとき、米国化学会のケミカル・アブストラクツ・サービスに勤務していた筆者は、オハイオ州のコロンバスにいた。

夜の7時すぎ、テレビのニュースで「central Japan」で地震、との第一報があり、最初は死者数百人と報じられたが、その後、1000人、3000人、と増えつづけるので、大変なことになったと思った。

映像が届かないため「central Japan」とは東京なのか、名古屋なのか、それとも大阪なのかもわからない。東京の家族に連絡しようとしても、国際電話はまったくつながらなかった。

阪神・淡路大震災阪神・淡路大震災西宮市犠牲者追悼之碑 Photo by Getty Images

2011年3月11日の東日本大震災発生時は、東京の千代田区立図書館を愛知大学の学生と一緒に見学中だった。

突然、建物が揺れはじめ、窓の外を見ると隣の高層ビルがゆっくりと振動している。さほどの大災害とは思わずに外に出ると、鉄道がすべて止まっていた。東京駅まで歩き、新丸ビルのテレビで津波の空撮映像を目にして、事態の深刻さを知った。

東海道新幹線は夜に運転を再開したので学生は愛知まで返すことができたが、地下鉄やJRは動かず、自分は身動きがとれない。東京駅の公衆電話は100人近い行列だし、スマートフォンの電話もメールもまったくつながらない。

ところが、スマートフォンでツイッターを見たところ、そこではまったく異常なく、さまざまな情報が行きかっていた。

その中に、東京駅からそう遠くないところに会社がある知人のツイートを見つけた。そこには「事務所は空いています。どうぞおいでください」とあった。それを頼りに知人を訪ね、椅子の上で夜を明かしたのだった。

奇跡の一本松岩手県陸前高田市の「奇跡の一本松」 Photo by PhotoAC

この2つの震災は16年という時を経て起きているが、この間に時代は大きく変わった。情報通信の手段を見ても、震災時の状況は次のように変化している。

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